悪魔の祓魔鎮魂・浄化

                悪 魔 と は

悪魔は、特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉です。
悪魔は、仏教では仏道を邪魔する悪神を意味し、煩悩のことであるとも捉えられています。
キリスト教ではサタンを指し、神を誹謗中傷し、人間を誘惑する存在とされています。サタン以外の西洋文化の悪霊(デーモン)も現代日本語では一般に悪魔と呼ばれたりします。イスラム教においては悪魔はシャイターン、イブリースと呼ばれています。
宗教によっては神に敵対するものを指し、他宗教の神々への蔑称ともなります。

私が守護神さんから学んだことをお話しましょう。
この世は陰と陽の世界です。すなわち、魔と神の世界なのです。互いの世界には立ち入ることができないルールになっているのだそうです。
そして、どちらもパワーは神的なパワーです。ですから、妖怪のような形態だけでは悪魔と別に考えております。
また、日本には昔から教会(キリスト)がある限り、天使さんがいらっしゃいますように堕天使(悪魔)もおられることになります。よって私はキリストにそった考えをもっております。
なぜかと言いますと、今までにクライアントさんから“サタン・悪魔”などから○○されたとか、○○○から犯されたなどと訴えてきておることによる理由からです。
これからも日本には異文化がおしよせてくるでしょう。そのときは、それにも神々と共に対処していくつもりです。




               サタン=悪魔の誕生

そもそも「サタン」という語自体、元来は特定の悪魔を指す固有名詞ですらなく、「敵対する者・妨げる者」を意味する普通名詞に過ぎませんでした。たとえば「民数記」第22章には、異邦人の占い師であるバラムがヤハウェの言葉を受けてモアブへ向かったとき、「彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。御使いは彼を防げる者となって、道に立ちふさがった」とあります。そもそもバラムの出発を許したのはほかならぬヤハウェであるのに、なぜそのとおりにすると「神の怒りが燃え上がる」のか不明ですが、この「彼を妨げる者」にあたるのが原語では「サタン」なのです。すなわちこの時点では、サタンなる固有名を持つ天使は存在していません。
のちの『ヨブ記』では、サタンにはすでに1つの人格が付与されています。『ヨブ記』においては、サタンは神の許可を得て、義人ヨブの信仰心を試すために彼にさまざまな災いを下します。物語のなかで、サタンは自由に地上を歩き回ったり、あるいは天上の神の議会でヤハウェと親しげに談合したりしています。すなわちここには、のちにみられるように天から落とされて地獄に閉じ込められたとか、神と対立する大いなる敵であるとかいう観念はまったくみられません。彼はあくまでも神のしもべであり、神の職能の一部を代行しているに過ぎないのです。でも、サタンに1個の人格が与えられたという点で、これは神という善悪両面の存在から、悪魔という暗黒面が分離する、1つのきざしとみなせるでしょう。
やがてユダヤの悪魔観に決定的な変化が生じるときがきます。おそらくは紀元前6世紀のバビロン捕囚期に、彼らはペルシアの二元論と接触します。彼らのなかに、神と根本的に敵対する存在、悪の根本原理としての悪魔という観念が根づいたのです。かくして神のしもべサタンは、神の最大の敵となりました。言い換えるなら、かつてのヤハウェの一部、ヤハウェの暗い側面が、そのままサタンなる新たな神に移譲されたのです。この転換をなしとげたのが、ユダヤの黙示思想家たちでありました。彼らは『ダニエル書』から<死海文書>、そして外典『エノク書』へと至るユダヤの黙示文学の系譜において、特異な悪魔論を構築していきました。
バビロン捕囚期、およびそれ以後のイスラエルはほとんど常に異国の占領下にあり、民衆の生活は艱難をきわめていました。何ゆえに苦しむのでしょうか。それは民が神との契約をないがしろにし、神意に背き、異教の神々を崇拝したためでした
そのような説明がもはや通用しなくなってしまったのです。なぜなら実際にこの世においては悪が栄えているのです。人々が神を正しく崇拝し、律法を遵守し、悪行を悔い改め、義をおこなったとしても、依然として義人は苦しみ、悪は世にはびこっているのです。
この状況に対する合理的な説明は1つしかありません。すなわち、この世は悪魔の支配下にあるのです。
ここにおいて「悪」はたんなる人間の不法、非道、堕落であることを超え、宇宙を2分する巨大な闘争となります。この宇宙は善と悪とが互いの存亡を賭けて闘争を繰り広げる戦場なのであり、しかも現在のところ、その戦況はこの地上においては悪の側が圧倒的に優勢なのです。ゆえに悪魔の側に立つ者は栄え、神の側にある者、正しき信仰を持つ者、法律を遵守する義人は病み、苦しみ、奪われ、さいなまれ、そして虐殺されます。
でも、だからといって神を見限り、悪魔の側に寝返ってこの世の歓びをむさぼることは許されません。なぜならいずれにせよ、宇宙の創造主が神であることは揺るがぬ真理だからです。今現在、神は人間には不可知な理由によって世の支配を悪魔にゆだねています。でもいずれ、そのような不正が正され、正しき者が雪辱されるときがきます。そのときこそ悪は滅び、神の民による至福の世界が到来するのです。
では、それはいつ起こるのでしょうか。いつ、この世は悪魔の支配を脱し、神は義人に報いて下さるのでしょうか。もう間もなくです。数ある黙示思想家のなかでも、もっとも有名な人物はこう断言します。
「時は満ち、神の国は近づいた」
「はっきり言っておく。これからのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない」
『マルコによる福音書』にあるこれらの言葉は、イエス自身、自分がまだ生きているうちに世の終わりがくることを期待していたことを示しています。ここで用いられる「この時代」という言葉は「この世代」の意味であり、彼の真意は、彼と同世代の者が死に絶える前に世の終わりがくるということなのです。



                キリスト教の悪魔

神父たちは、かつては神に仕えた天使の罪について論じました。
キリスト教神学では、神に対して謀反を起こした堕天使(サタン)の手先である。
神学では、人間を誘惑して堕落させ、カトリック教会を滅ぼそうとするものとされました。
また、角、翼・蹄・尻尾などを持つ姿で表現されるほか、黒い影でも表現されました。



             神話や民間信仰における悪魔

各地の神話や土俗信仰などにおいては、人を傷つけ、あるいは悪い感情を誘発するなど、人を不幸にするような神秘的力を持つものが語られる例は珍しくありません。
それが人格を持って語られる場合、それは悪魔的なものとなります。翻訳する際には悪魔とされることもあり得ます。
それらは悪意を持って人を傷つけるだけでなく、場合によってはいたずらが予想外な事態を引き起こし、巡り巡って新たなものの誕生などにつながります。



                   悪魔の形態

悪魔の姿を見た、という伝承は古来から様々な形で残るものの、信頼に足りる映像記録などは現在のところ存在しません。
よくある類型的な悪魔像は、ある程度「人間に似た形」をし、肌が紺色、あるいは黒や赤色で、目は赤く、とがった耳を持ち、とがった歯を有する裂けた口を持ち、頭部にはヤギのような角を生やし、とがった爪の付いたコウモリのような翼に尻尾を持つ、といったものです。かかとがないことも重要な特徴とされています。
絵に描かれた悪魔は、これらの特徴のほぼすべてを備えているものもあれば、一部のみを有するものもあります。
高等な悪魔は外見が男性的であったり、女性的であっても実際は両性具有であるという説もあります。




       悪魔の祓魔鎮魂・浄化 料金表

☆ 悪魔の祓魔鎮魂・浄化 1回のセッション料 10,000円

☆ 波動カード(大)   環境浄化用 1枚   1,000円
  波動カード(中)   置物・車用 1枚     700円
  波動カード(小)   人体用   1枚     400円


☆ DSバイオレゾナンス・セラピーCD

  心と身体の痛み・苦しみのブロック解除
  (心身のバランス) LP-12       4,200円


  低次霊媒体質改善  SXシリーズ     45,000円





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